あるがまま~徒然日記~

思索的な悩み、抽象的な想いなどを文で表す為に始めました。

昔の下書き。

SNS上で僕はどう映っているのか、

ちょっと考えてみたら演じという点において無自覚なわけではない。何か現実で言えないようなこと書いたり、なれないような自分をやっている。馬鹿なんだと思ったりしたがそこに対して否定感はない。馬鹿になりたいとさえ思うから、実際どうあれつけるクスリなどないはずである。Twitter上で馬鹿にみせるため演じ続けている、という感覚はある。たからといって演じているその自分の本来など知らない。
だから仮面を被っているというほどの意識はない。何処かに病的な自己モニタリングをしている感じがあって妄想を抱いたりしているのかもしれない。

自意識の過剰なんて、他者と比較には出せないから検討つかないが馬鹿をやってやろう、とか云うのはありそうな話である。悪い言い方をすれば道化である。

ここは趣味の場であると僕は思っている。自己プロデュースしてるような思い込みと毒抜きという変な趣向、趣味になったもんだ。


同時にSNSをやる動機としてもっともらしいことを言えば、専門でなく一般の情報みたいなのや考えを知りたいというところだ。

話が逸れるが著名な方の意見ばかりが情報であるという先入観があるとするならば、それはかなり古い考え方だと思う。
時代が変容するに連れ、自分達はたちは努力してきた、という誇り、プライドは邪魔になるだろう。少しずつ個人に価値観の比重が強まるような主観的ではあるがそんな時代になってきていると思う。そもそも価値観が個人にというと変だが、いわば個人主義的な時代になってきているのではということで、また膨大な情報がネットなどからも行き交い誰でも知識としては専門家みたいになってしまえる、そういった時代なんだと思う。然し、それだけに偏った考えになっていったり途端にかたくなる気がする。気がするだけであるが。
「芸術の大学なんて、オカシイ。」「芸術とはきれいであってはならない。・・・」
「今日の芸術」著、岡本太郎
芸術と聞くとえらく気をひかせるが
固定観念、先入観が僕にもあるんだろう。バイブルとして、みても違うのだと思うけど。ある程度批評しないともうこの人に信仰してしまう
最近は怒りの感情を呑み込むことを意識している。頭にきたら、「これを胸にしまっておければ今度は何か良いことがやってるの来るのだ」、と強く暗示をかける。苛苛もおさまれば病み上がりの時に安堵してホッと息を吹くような気持ちになれることもある。耐える、耐える、
耐えるのだ。